できるようになる人を増やすことが自分の嬉しいことかもしれない
出典元: sizu.me
このへん見てて思ったこと。
「EMは〇〇すべき」「EMは〇〇すべきでない」という話に終止符を打ちたいというテーマで収録したいな。参加してくれるゲストさんいたら検討したい🙋
— いっしー🐱 (@oturu333) April 14, 2025
EMに限らないけど「〇〇は△△すべき〜」も含めて、無意識的な職業差別だと思ってる。
得手不得手や向き不向きはあると思うけどやってはいけないことはないというか。 適切な役割を充てるのも大事だけど、それに対して組織はより変容的でいい気がしてる(という意識のもと労働してるつもり)。
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最近ポッドキャストでもそういう話をしていて、この辺は自分の最近の考えているテーマでもあったりする。「役割名」をいい感じでなくしていきたいなと思っている。
で、こういう考えの源泉となっているものはなんだろうと考えていた時に、自分の信念として、できなかったことができるようになれる社会になったらといいな、というのがあると気付いた。
エンパワメントやサポートとしてのもの、身体の拡張に関してのものと価値観が一致してるところのものに興味がある。WebやAIというものを使ったソフトウェアは「できるようになれる」ものの最たる例。そういうものに関わっているからこそそうした思考が強くなってきているのだと思う。
だから何か特有のスキルをもつ人を区切ることや、その役割にはまることに気持ち悪さがあるんだなとも思った、思いました。